2014年御翼11月号その1

人生最後のおもてなし 牧師・医師 下稲葉康之先生

  

 福岡の栄光病院の名誉ホスピス長・下稲葉康之医師(75)は、30歳のときから牧師も勤めている。下稲葉先生がホスピス医としてお世話をした患者は七千人以上である。中でも印象に残っているのが、高校生の枝里子さんのことだという。八歳のときに神経が細胞腫という小児がんを患い、三度の開腹手術と化学療法による治療を受けた。その後、学校に通うが、16歳で再発した。下稲葉先生のところに彼女が入院したときには、余命数カ月と診断された。枝里子さんは、8歳の時の治療で完治していたと思っていたが、下稲葉先生は再発を告知しなければならない。
 「私が落ち着いて彼女に説明ができますように、そして、聞く彼女の心に働いて、慰めと支えをあげてください」と下稲葉先生は祈ってから、告知のために病室に出かけた。「神経が細胞腫ということで治療を受けたけど、腫瘍が…」と言ったとたん、枝里子さんの体がガタガタと震え出し、「先生、再発したの?私、この病気で死ぬの?恐い!」と言う。「残念だけど再発して、治療方法はない」と先生は一応説明した。それを聞いた彼女は、部屋に行くたびに、「先生、治るの、治らないの?死ぬの、死なないの?」と質問する。三週間後、先生は、「残念ながら死なないとは言えない」と真実を言う。更に三週間後、枝里子さんが、「もし死ぬのなら、その前にウェディングドレスを着たい」と言った。先生はご両親と相談し、親戚の美容院でウェディングドレスの写真を撮った。ある日、病室に行くと、枝里子さんのお母さんが、「枝里子は小1の頃、聖書を読んだことがある」と言った。それがきっかけで、下稲葉先生は讃美歌を教え、聖書の話しをし、イエス様が共にいてくださると話すことができた。次第に枝里子さんの表情は穏やかになっていった。
 枝里子さんは、金曜日に17歳の誕生日を迎える週の月曜日に天に召された。それは受難週であった。ご両親が家に帰って、何気なく彼女の机の引き出しを開けると、そこには彼女が残したメモがあって、「私が死んだら、葬儀はキリスト教式でしてほしい」と書いてあった。次の日曜日、イースターの日、下稲葉先生の教会の礼拝で、枝里子さんの召天記念会が行われた。「どうして永遠のいのちがあるのでしょうか。これはイエス・キリストがよみがえられたという事実に基づいているのです。『あなたが死んでも…』とお話しできるのは、実にイエス・キリストの御業があるからです」と下稲葉先生は著書『幸福な死を迎えたい』記している。
 ある患者さんは、「病気(癌)になってよかった。そのお陰でこのホスピスに来られた。先生にもイエス様にも会えた」と言って、入院後僅か12日で天に召された。このような出来事は下稲葉先生にとって財産、宝だという。その例は、一人や二人ではない。これまでみとった七千人の患者皆に、先生の方から御礼を言いたいほどである。「人生最後のおもてなし」をしておられる下稲葉先生は、天に富を積む仕事をしておられる。

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